神門に続く石段。長さ330センチの19段が、一段ごとにすべて一枚岩で造られている。
(幅200×奥行340×高80センチ)
明治11年完成。 「寒澄清徹」の銘があり、一個の大石を刻んで造られている。
明治8年の大火拝殿焼失の復興で手水石が刻まれた。
明治8年大火で境内建造物や奉納絵馬はことごとく焼失。
火災翌年、明治9年の絵馬に最古の絵馬が奉納されている。
結婚披露宴、各種会議、講演会、パーティー、同窓会などに広く利用されています。(和室100名、洋間130名までのご宴会ができます。他に、写真撮影室、各和洋各種小部屋あり)。
昭和55年完成。
高山祭の屋台実物展示はここだけ。
秋の高山祭(当宮例祭)の屋台11台(国指定有形民俗文化財)のうち4台と大神輿を常設実物展示。
他に、付設館として桜山日光館には日光東照宮精密模型を展示。常時上映の研修室、神社関係宝物等資料。
展示屋台は、年に3回(3、5、11月)入れ替え。
昭和43年に開館。新館は大江宏設計事務所の設計により、昭和63年完成開館。
設計士は、新館設計に着手する前に、高山市内の各所を巡り、何年経過しても、高山の景観と神社の拝殿に似合う建築設計をしたといわれる。
高山祭屋台会館の附設館。
匠の技を共通テーマとして、大正の名工作品。日光東照宮の精密模型群を展示。
明神型大鳥居は昭和48年9月完成。
桧製。高さ10メートル。幅12.2メートル。
享保15年(1730)、飛騨代官長谷川忠崇の奉納。
青銅製の社号額と石造鳥居を奉納。社号額の書は佐々木文山。
平成の御大典記念に氏子有志から奉納された
建立は対象から昭和初期と推定されるが、詳細は不明
境内の南参道入り口に建立。
霊徳昭昭(れいとく しょうしょう)=霊妙な神様の御神
この反対側に
稜威赫赫(りょうい かくかく)=神聖な神様の威光は、