高山で最初の三輪の屋台で、御所車の直径は1.56mもある。中段は平安朝風の御殿造りで囲いがなく簾を半ば垂らし、この御殿で烏帽子、直衣の装束をきた童子達が優雅な屋台囃子の大八曲演じる。
平成27年に大修理をして、輝きを取り戻した
創建年代は享保3年以前と言われており最古の一つ。明治8年の大火で類焼し、明治16年に再興、神社建築の様式を取りいれている。この地域を開いた行者の徳を慕い祭神として、役の行者が飾られている。
創建年代は不詳、明治33年から3ヶ年かかって大改修を行い、飛騨の匠の大工、彫師、金具師、塗師などの技術を集中した装飾をほどこしている。
屋台芸術の粋をあつめた絢燗豪華な屋台である。
高山の屋台中ただ一台の屋根が唐破風で、古い台形を残している貴重な屋台。唐破風の屋根と飾り付けた劔巻龍の鮮やかさが目を引く。
昔「粂の仙人と美女」の操り人形があったが、風紀上よくないという代官の差し止めにより現在は祭神として仙人像が飾られている。
創建年代は不詳、嘉永7年に378両をかけ大修理を行っている、その後、明治4年に再度大修理が行われ、総坪3万坪という金具と、7尺の欅の大材で彫られた谷越え獅子の波渡りは、高山の屋台彫刻中最大のものである。
創建年代は享保3年以前で明和6年の再建、天明元年に新調した、神馬と白丁二人の飾り人形を備えている。中段の紫鱗紋織出しの大幕に左右側面に2個づつ後面に1個の般若面を大きく刺繍しているのが印象的である。
平成28年に神馬人形を修理。車輪は四輪構造。
創建は廷享4年で、その後天保8年に再建されたのが今の屋台であり、特に中段の前面には雲龍、側面には明人遊苑図の刻糸幕、後面見送りは綴錦のササン朝モードの樹下仙人美人図の垂幕は稀品中の稀品である。
車輪は三輪構造
創建年代不詳、文政11年大改修で、棟飾りに雌雄の大亀を載せた、この大亀は屋根を軽くするため和紙に漆をかけた一閑張りで出来ている。この屋台の台輪は、ケヤキ材の一枚板で高山の屋台の内で―番美しい。
取り付けた彫刻や金具は、玄武の亀尽くしで、別名亀屋台とも称される。
享保年間の創建とされ、布袋の操り人形を主題にしてこの屋台が建造された。布袋和尚と唐子2体は、操り手綱36条と8人の綱方を要する極めて複雑巧妙な、からくり人形で、離れからくり人形中日本最高のものである。
祭では布袋台は、①番神楽台にひきつづき、②番に曳かれる特権を持つ。
享保3年の創建といわれているが、その後破損し、文政元年に出来たのが現在の屋台で、神功皇后に武内宿禰の像を飾っている。
金鳳台は、文政年間の屋台の形を崩さず、高山の屋台の基本の形をなしている。
平成25年に三年間かけた大改修を終えている
飛騨国主金森重頼の実弟重勝より宝永五年大太鼓の寄進を受け、欄干付の車に大太鼓を載せ、祭礼に巡行したのが起源で、現在も屋台行列の先頭に立つ特権を持ち、大太鼓2人、締太鼓1人、笛2人が祭囃子を流しながら曳いている。
三輪構造で、二輪が大きい。上段の金幣三本は、三社託宣の皇大神宮、八幡、春日の三神を祀ると伝えられる。明治期には二段構造であったものが、その後三段構造になったとされる。
桜山八幡宮の例祭には曳き出されない。春の高山祭(日枝神社例祭)に曳き出される祭屋台。麒麟台の収蔵する屋台蔵の修理に伴い、平成28年7月から29年3月まで特別展示。
秋の高山祭と知られるのは、櫻山八幡宮の例祭(国無形重要文化財)です。高山祭の屋台行事は、ユネスコ無形文化遺産です。
毎年10月9日・10日が例祭日となっています。
例祭には11台の祭屋台(国有形重要文化財)が曳き出されます。
7日夜6:00の試楽祭にて、9・10日の祭礼の無事斎行を祈り、その後、祭屋台の曳行順が抽籤祭で神意によって決まります。
9日は表参道に祭屋台が曳き揃えられます。午前10時に奉幣祭が本殿で行われます。
境内では、布袋台のからくりが奉納されます。
9日夜は、提灯を取り付けられた屋台の宵祭があります。
10日、表参道に屋台が曳き揃えられ、獅子舞、闘鶏楽、雅楽、太太神楽、警固の裃、神輿と総勢約400人による時代行列のような祭行列が氏子区域内をご神幸します。
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