桜山八幡宮の例祭は、全国的に「秋の高山祭」と知られています。高山祭屋台会館は、桜山八幡宮の境内で、この秋の高山祭に曳き出される実物の祭屋台(国指定有形重要文化財)を常設展示している施設です。 祭屋台4台と大神輿を常設展示して、秋の高山祭をテーマとした博物館相当施設です。
お問い合わせ電話番号0577-32-5100
秋の高山祭の祭屋台は11台ありますが、4台が、3月、7月、11月と年に三回展示の入れ替えが行われます。 映像研修室、神社資料なども併せて展示しています。匠の技を共通テーマとした附設館の桜山日光館では、美術工芸品の日光東照宮の精密模型群が展示されています。
開館時間は冬季(12月1日から2月末日)午前9時ー午後4時30分
冬季以外は午前9時-午後5時
飛騨国主金森重頼の実弟重勝より宝永五年大太鼓の寄進を受け、欄干付の車に大太鼓を載せ、祭礼に巡行したのが起源で、現在も屋台行列の先頭に立ち、大太鼓2人、締太鼓1人、笛2人が祭囃子を流しながら曳いている。
享保年間の創建とされ、布袋の操り人形を主題にしてこの屋台が建造された。布袋和尚と唐子2体は、操り手綱36条と8人の綱方を要する極めて複雑巧妙な、からくり人形で、離れからくり人形中日本最高のものである。
布袋台のからくりは、唐2体が布袋和尚の肩に飛び乗る
享保3年の創建といわれているが、その後破損し、文政元年に出来たのが現在の屋台で、神功皇后に武内宿禰の像を飾っている。
金鳳台は、文政年間の屋台の形を崩さず、高山の屋台の基本の形をなしている。
平成25年に三年間かけた大改修を終えている
高山で最初の三輪の屋台で、御所車の直径は1.56mもある。中段は平安朝風の御殿造りで囲いがなく簾を半ば垂らし、この御殿で烏帽子、直衣の装束をきた童子達が優雅な屋台囃子の大八曲演じる。
創建は廷享4年で、その後天保8年に再建されたのが今の屋台であり、特に中段の前面には雲龍、側面には明人遊苑図の刻糸幕、後面見送りは綴錦のササン朝モードの樹下仙人美人図の垂幕は稀品中の稀品である。
創建年代は享保3年以前で明和6年の再建、天明元年に新調した、神馬と白丁二人の飾り人形を備えている。中段の紫鱗紋織出しの大幕に左右側面に2個づつ後面に1個の般若面を大きく刺繍しているのが印象的である。
高山の屋台中ただ一台の屋根が唐破風で、古い台形を残している貴重な屋台である。
昔「粂の仙人と美女」の操り人形があったが、風紀上よくないという代官の差し止めにより現在は祭神として仙人像が飾られている。
創建年代は享保3年以前と言われており最古の一つ。明治8年の大火で類焼し、明治16年に再興、神社建築の様式を取りいれている。この地域を開いた行者の徳を慕い祭神として、役の行者が飾られている。
創建年代不詳、文政11年大改修で、棟飾りに雌雄の大亀を載せた、この大亀は屋根を軽くするため和紙に漆をかけた一閑張りで出来ている。この屋台の台輪は、ケヤキ材の一枚板で高山の屋台の内で―番美しい。
創建年代は不詳、明治33年から3ヶ年かかって大改修を行い、飛騨の匠の大工、彫師、金具師、塗師などの技術を集中した装飾をほどこしている。
屋台芸術の粋をあつめた絢燗豪華な屋台である。
創建年代は不詳、嘉永7年に378両をかけ大修理を行っている、その後、明治4年に再度大修理が行われ、総坪3万坪という金具と、7尺の欅の大材で彫られた谷越え獅子の波渡りは、高山の屋台彫刻中最大のものである。
文政年間に創造された前神輿が、明治8年に大火のため焼失して、明治21年から5ヶ年かかって創造した。八角形の雄大な形態と壮厳な美しさを誇り優美な装飾は、日本一と称され、重さ約2トン半の大神輿である。