古く(江戸時代から明治初め頃まで)は例祭が旧暦8月1日に行われていたことにより、氏子から選ばれた、祭礼を取り仕切る年行司と副年行司の各4名の計8名と18組の屋台組の代表当番主任、責任役員が参拝して、宮司が祭礼の準備を年行司に委嘱し、年行司はこの日より祭礼の準備を始める。
現在の例祭日10月9日10日は昭和43年からであり、その前は9月14日15日であった。祭り事始祭は、例祭が10月になってから始まった祭礼と伝えられる。
神社の祭礼に関係する氏子関係者が紋付袴姿で正装して参列する。屋台の上段に立てる御幣を清め祓い、例祭の無事厳粛斎行を祈る。
併せて、屋台曳行の順番を抽籤するとともに、4年に一度年行司の順番を決める年行司順番抽籤祭を行う。
屋台曳行の順番の1番神楽台と2番布袋台は決まっているので、3番以降が抽籤決定される。
順道場にて、正副年行司の前に、屋台組を代表する当番主任が1番神楽台から屋台曳行の抽籤順に、屋台に代わる代車を順道場前に曳きこみ、年行司の指示に従い、喧騒のないように、厳粛に祭礼奉仕することを誓す。
順道場とされる場所は、年行司が定めるが、数年来御旅所を使用されてきている。
午前9時までに、境内にからくり奉納する布袋台、記念道路といわれる表参道には10台が曳き込まれる。
午後6時からの宵祭まで、屋台は駐まっています。
境内では布袋台のからくりが奉納される。
このうち、毎年4台の屋台が午後1時30分から大新町4丁目へ曳き出される。
9日正午、午後2時 10日午前11時、午後1時に境内で布袋台のからくり奉納
布袋さまの肩に唐子人形二体が乗り移ります。
演技時間は約20分。この布袋台のからくりのルーツは非常に古く、八幡祭の屋台曳行が始まったとされる享保3年(1718年)の頃。当時大阪の竹田座による操り人形芝居が高山に移入され、布袋の操り人形を持つ布袋台が建造されたと言われています。
午後は、駐台していた祭屋台が、それぞれの屋台蔵へ向かって曳行されます。
例祭の最も重要な祭典。神社本庁から献幣使が参向し、拝殿にて国家と氏子崇敬者の繁栄を祈り、神饌をお供えし、桜山の舞と浦安の舞が奉納される。
氏子の水門台地区(大新町5丁目)へ、御分霊は枠輿にて神幸行列が巡る。
獅子舞、闘鶏楽、太太神楽に水門台組の代車、裃警固の神幸行列。
屋台が提灯を付けて、屋台曳行順で、年行司の指示により、安川通りに屋台が提灯を灯して曳き並び、下一之町を通り、屋台蔵へ帰る。
提灯の明りに屋台中の金具や瓔珞が妖しく揺れながら光り輝く美しさは、昼間太陽の下で見たキラキラした美しさとは又違った美しさで人々を夢の世界へ誘ってくれる。
獅子舞、闘鶏楽、舞姫、雅楽、太々神楽、屋台組の旗を掲げた代車、神職が神輿を導き、裃姿の警固の氏子の供奉されて、氏子内を廻る。
午前9時から正午 布袋台を除き、境内表参道に並びます
正午から午後4時頃は、駐台していた祭屋台が、それぞれの屋台蔵へ向かって曳行されます